2016年12月02日

経済的自由、という幻想を相手にしない

経済的自由 という言葉を耳にすることは無いでしょうか?
不労所得がある、一生遊んで暮らせる金がある、etc...
サラリーマンなど庶民の我々には経済的自由が無い、だから大家になって不労所得を得て、経済的自由を得るんだ、お金に働かせるんだ、etc...

思うのですが、いつ我々は経済的に不自由になったのでしょうか?
我々は売られた奴隷ではないですし、借金があっても自己破産することが出来ます。
経済的な理由で奴隷扱いになり自由を奪われている訳ではありませんよね。

イヤイヤに仕事をしているとしても、その仕事を辞めて別の仕事を探すことが出来ます。(給料が増えるか減るかとは別の問題です)
自分の時間を切り売りして給料を得ているとしても、どの会社どの仕事相手に切り売りするかは自分で決めることが出来ます。

経済的自由の反対を経済的奴隷(経済的隷属)もすると、我々は本当に経済的奴隷なのでしょうか?


別の観点で考えましょう。
宝くじで5億円当たると経済的自由になるでしょうか?
覚醒剤で捕まったプロ野球の清原選手は50億円以上の稼ぎがあったといいますが、逮捕された時にはほとんどの財産を失っていたといいます。

思うに、人間の欲求には際限が無いため、金はいくらあっても足りないと思えば足りない(経済的に不自由)だし、足りてると思えば足りるものでしょう。


もう一つ考えてみます。
どんな女性とも好きな時に好きにセックスできる状態を性的自由としましょう。(橋本環奈でも橋本奈々未でも選び放題です。)
我々は明らかに性的自由ではありませんが、性的な隷属状態であるということになるでしょうか?
そうではないはずです。元から求めている自由の水準が実現不可能だから、それが満たされないだけであって、
自分で誰と寝るか寝ないかを選択する自由を持っていれば(これは現代社会では実現可能な水準の自由です)とりあえずは性的に自由と考えて良いでしょう。

我々は地球上で暮らす限り重力から自由になることはできません。
重力的不自由であるのは明らかです。物理法則からも自由ではありませんので物理的奴隷であります。
酸素が無いと生きていけませんので酸素的不自由です。
ところでそれは本当に不自由だったり奴隷と呼ぶようなことでしたっけ?


私の考えをまとめます。
1一生遊んで暮らせるお金を得ていない自分を、自由と思うか不自由と思うかは自分の気の持ちよう次第。
2歴史上でも経済的自由を獲得した人というのはほとんど居ないはずです。生涯必要なお金を稼ぎきって隠居した人は、ほとんど居ないでしょう。
3自由と思っても不自由と思っても、どう思おうがお金が増えたり減ったりはしないけど、気分は違う。
第一、金だけあっても全てが自由になる訳では無い(法律違反をしたら普通に捕まります)


自由と思えば自由、不自由と思えば不自由。
経済的自由という幻想はあまり相手にするべきではない(投資詐欺の入口に過ぎない)と、私は思います。

posted by ロボたいしょう at 12:18 | Comment(0) | 投資 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする