2016年08月23日

人間に自由と道徳はあるか

人間の自由とは、社会がそういう風に決めた、決め事(フィクション)にすぎない。

1
今の自分は、過去の自分と過去の環境から絶えず作られている。自分の感情や、行為の反省、理性も全て突き詰めればDNAと幼少期の環境に行き着く。つまり現在の自己は、本当の意味では自由ではない。

2
ある人間の行為は、DNAと幼少期の環境が生み出したものであり、行為は所与の条件が与えた必然的な結果にすぎない。

3
よってある人間の行為によって、その人間が自由にその行為を行った(自分で選んだ)と考えその人間が道徳的であるとか非道徳的であると論じることには意味がない

4
一方で、ある人間の行為が社会ルール上反する行為(犯罪)であることは依然として残る。
再犯の可能性が高い犯罪者は、社会から隔離し、犯罪行為を再び起こさないような人格(行動パターン)に治療・矯正してやる必要が社会にはある。

5
犯罪を犯すと捕まるのは、仕返しや罰を与えるためではなく、犯罪行動パターンを持つ人間を治療・隔離するためである。
(そうでなければならない)



電車で騒ぐ子供を注意する時には

1
社会の様々なルール(電車の中ではお互いにさわがない)を守った人だけが、社会の中で大人(責任を負う主体)として扱われる。

2
社会のルールを守れないということは大人として扱われない(電車でさわぐ)ということであり、
責任を取れる主体とはみなされないということである。
そのような主体は社会の中では自由のない(責任を取れない)半人前扱いしかされない。

3
つまり、電車の中で騒ぐのは子供だけだから、自由を認められる大人になるために静かにしなさい

一言でいうと
社会のルールを守らないと誰も遊んでくれなくなるよということ。


posted by ロボたいしょう at 23:25 | Comment(0) | スマートライフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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